90年代後半、世界中で人気を博した劇場版アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が2017年にハリウッドの実写映画として新たな幕を上げようとしている。GHOST IN THE SHELLとは、ゴースト、つまり魂の在処をテーマにした物語だ。
私たちもふとした瞬間、自分の魂について考えることがあるだろう。自我がある、それ自体を魂と呼ぶのか、姿形が変わってしまったら……。このようなテーマは、『攻殻機動隊』や安部公房『他人の顔』など、多くの作品の中に組み込まれている錆びないテーマのひとつだ。
とはいえ、このテーマに向き合って暮らすのは難しい。そんな中、このような課題をずっと身近なテーマとして扱い、自然と生活に組み込んでいる人々がいる。【イタコ】と呼ばれる人々だ。
常人の生活領域から逸脱し、魂と触れ合ってきた【イタコ】の世界を少し覗いてみよう。
案内人として
未知の領域に導く
ネパールにヒマラヤ登山の支援をしているシェルパという案内役がいる。高地に順応し、驚異の身体能力を誇る彼らは、常人だけでは決して訪れることのできない“未知の領域”まで旅人を導く。常人だけで繋がるには難しい世界との橋渡しをしてくれるという意味では、【イタコ】も彼らと同じではないだろうか。
イタコの出現した時代は不明
古くからとも、歴史が浅いとも言われている
【イタコ】は戦後、一躍ブームとなった。そのため、昭和30年代頃から現れたと思われることが多く、「歴史が浅い」と認識されがちだ。だが、調べてみると、古くは江戸時代後期の旅行家で博物学者の菅江真澄の手記に【イタコ】の存在が書かれていたという説から、それ以前からあったという説まで出てくる。また、一部地域では「江戸時代以前から行われていたにも関わらず口承で伝わってきていて、文献が残っていない」と言われているため、明確に【イタコ】のはじまった時期は断言できない。
外側から理解するだけでは、わからないことも多い。そこで、現代社会で【イタコ】としてご活躍中の “瑞鳳殿 澪”さんに話を伺った。
「文化の伝承のために」と【イタコ】を継いだ
イタコ七代目“瑞鳳殿 澪”さん
【イタコ】の世界では霊を呼び出す行為を“口寄せ”と言う。ただ、澪さんの場合、霊を呼び込みやすい“霊媒体質”なので、特に“口寄せ”せずとも霊魂との会話ができてしまうそうだ。だから、彼女は幼少時代から日常の一部として霊魂と接してきている。“霊魂と接することが特別ではない”という特異な環境の中、彼女は代々引き継がれてきた【イタコ】を継承することになった。
「日本人が霊を求める作法において、イタコはひとつの象徴かと思われます。“霊を感じる”という事は、今の人々の日常の生活においては、『葬式のとき不思議なことが起きた』など、いわゆる虫の知らせなどと表現されています。たとえ、体験がなくとも、聞いた事はあるはずの“霊と人との日常での交信”が根付いていますから、人は生活のなかに、霊を認め求める文化はあるはずなんです。そういった意味において私は“イタコは文化”だと思っております。たまたまイタコの家系に生まれたのも縁として、私は文化の伝承をするためにも必要だという思いから、イタコ七代目を継がせて戴きました」
霊を求めるための、ひとつの象徴。彼女の言うとおり、“霊と繋がる”という言葉から最初に連想されるのは、日本においては【イタコ】ではないだろうか。
たとえ霊能力が低くとも
意味がないとは言えない【イタコ】という存在
「【イタコ】というのは、ただ霊と交信するだけの見世物ではない」として、澪さんは【イタコ】を“文化の職業”だと表現する。
「【イタコ】は、かつて目の不自由な方の、一つの職業でした。文化の職業ですから霊感のない方、霊的感性の浅い方は、修行においても“フリ”をせねばならないので、大変だったと思われます。それでも“フリ”の中に、依頼者への情のある言葉でのカウンセリング要素や、人として大切な事を改めて伝えたり、農事の知恵をも伝承する仕事でもありましたから、学術的ではあります。“フリ”であってもプロとして経文や祭文を唱える儀式を致しますから、ある程度の手間賃は発生しますでしょうし、場合によっては人の心を救うこともあります。だから、占い師さんのように当たる当たらないという意味での良し悪しの判断はつきません。そういう意味合いでは【イタコ】には良し悪しなどないと思うのです」
【イタコ】の役割は依頼人の思いを受け取り、届けることなのだ。つまり、霊力が高いというだけでは、成り立つものでは決してない、ということだろう。そんな職業に対し、批判したり、試したりするのはナンセンスなのだ。
占いとの相違点
霊魂を呼び出してできること
霊魂を呼び出して具体的にできることは、以下の通りである。
・過去のことを語る、生前伝えられなかった自分の思いを告げる、など
・未知のこと、未来のことを聞く
・生霊の呼び出しの場合、深い気持ちや本音を聞きだす
<澪さんへの依頼内容例>
相手の気持ち・状況・恋愛・結婚・復縁・不倫・離婚・仕事・事業・浮気・家族・子育て・健康・精神・失せ物・失せ人・人生・同性愛・先祖供養・霊障害・ペットの気持ち・ペットの供養・起死回生・祈願祈祷・前世・因縁・除霊など。
イメージとは異なり、相談は多岐に渡る。
【イタコ】。ある意味では占いのジャンルと言えなくもない。ただ従来の占いの場合、基本的に主に鑑定者の言葉、すなわち占いの結果を聞くということが中心になる。【イタコ】の場合、呼び出した霊を交えての会話になるので、占いの結果にプラスされる要素があるようだ。
「私(イタコ)の鑑定を受けられた方は、元来の占いとは全く違う“まるで相手を交えて会話”している感覚で、相談を出来るのがメリットです。無念や言い切れなかった思いは、相手との交渉でスッキリしますし、知りたかった情報は瞬時に高次元(神仏のようなもの)から入手できますから、私(イタコ)の“使い方”を覚えたご相談者様は、ご自分なりの人生や生活の深い部分の疑問からライトな問題まで、どのようなことにも上手にご利用下さいます。まずご相談者様が、自分なりの方法で良いので、自分の軸で歩まれる事が目的の鑑定となっています。また、相手との交渉や多くの高次元からの未来の情報収集ですから、ご相談者様が考えを変えた瞬間から、無限の可能性が引き出されることになります」
占いを利用する場合、きっかけを与えてもらいたい、背中を押してもらいたいと願っている人も多いと思う。【イタコ】の場合もそれと同じなのだ。ただし、従来の占いとは違い、話をすることが目的の【イタコ】は、より具体的に悩みを打ち明けられたり、可能性を見出したりしていけるのかもしれない。
意外と知られていない
【イタコ】への道
【イタコ】になるためにはどのような道のりがあるのだろう。修行はどれほどか、資格などがあるのか。以下の通り、詳細を教えていただいた。
<イタコの資格を取るまで>
1. 師匠(現役のイタコ)に弟子入りし、通いまたは住み込みしながら修行をする。
<修行の内容>
期間はだいたい1~2年ほど。5年、10年かかる場合も。経文・祭文・祝詞・真言などの暗誦、祈祷の手伝いをして、【イタコ】という仕事について覚える。
2. 師匠から一連の仕上がりが認められ、お許しが出たら、“神憑(かみづけ)”の日が決まる。
<神憑式>
師匠を含む、イタコ関係者数人が集まる。公開の中で、師匠と対峙して何時間も経文を唱え続け、弟子が失神するまで行う。
※一種のトランス状態にして、弟子に降霊させるのが目的
※「ここは能力差がありますから、何十時間もかかる方もいれば、数時間の方もいらっしゃいます」とのことで、時間に決まりはない。
降霊された霊は、師匠が審議し、弟子に霊の名(守護神・守護仏)を教え、神憑は終了。
※師匠から免状(オダイジ)や数珠などを授けられ、独立の挨拶をする。
4. 独立後しばらくは、師匠と大祭などに参加し、挨拶もかねて活動を行う。
「私も高校2年の夏休みに師匠宅で、お世話になりました。学業もありますから、1週間で修業を終了いたしました。実は幼少期から私は、祖母から経文・祭文・祝詞などを教わっており、霊交信もできるというので“神憑(かみづけ)”と呼ばれる儀式を勧められておりましたが、身体が弱くなかなか機会なく17才まで過ごして参りました。ですから、呪文を覚える修行もパスで、“神憑”(老僧の守護霊が憑いている)も、1週間で終えることができました。そして、イタコの免許“オダイジ”を戴き、独立の運びとなりました」
代々【イタコ】として活躍してきた家に生まれ、類稀な霊力を宿している“瑞鳳殿 澪”さんであっても例外ではない。きちんとした手順を踏まずして【イタコ】にはなれないのである。
呼び出し方・必要な情報
依頼者の念を元に霊魂を中継地点へと呼び出すので、基本的に生年月日などは伝える必要はない。呼び出しに必要不可欠なのは名前のみである。これは対話するときに使用するため、たとえ相手の名前がわからない場合でも用意しなければならない。とはいえ、わからない場合は偽名でもかまわないという。
「ご相談者様がその魂と出会った歴史、その時の意志を入口にお呼び立てします。また高次元から、情報収集もいたしますので、生年月日は不要です。知りたい情報を持っている相手先を、自分の身体に憑依させているだけなので。【イタコ】は“高次元”の通信フィルターのようなお役目とご理解ください。ただ、名前はお呼びするのに使いますから、偽名でもお聞き致します。情報量は少なくても、当時の相手の感情から、状況を裏づけていき情報に成立させるのです。ただ、中には“何も言わなくてもわかるだろう”と勘違いされる方もいらっしゃいます。私(イタコ)の場合霊交信ですから、できる限りご相談者様も目的をもって鑑定に参加して欲しいと思っています。そして、なるべく、たくさん(細かくても良いので)、質問をしていただきたいです」
呼び込むために必要な情報は少なくてもいい。が、具体的に多くの質問をしなければ有益な会話は引き出せないのだろう。これは通常の会話でも同じことである。だから、変に気負わず、むしろ通常通り会話に集中することが大事なポイントになってくるということだ。
報われない者は、生き人でも死に人でも
「わかってもらいたい」もの
意図せず交霊してしまうこともある澪さんだが、意識していない場合であっても魂を無下に扱うことはしないと言う。
「念の残っている場所から状況を遡って解析し、ご成仏戴いたり、現場を遠隔でも浄化いたします。魂の想いを聞きとげ、よく理解してさしあげて、魂としての生きる道を示します」
ひやかしや試しなどを行った場合は、【イタコ】の意思に関係なく、霊魂が見抜き回答を拒否してしまい残念な気持ちになることもあるという。それでも彼女は、魂との対話を止めることはしない。
「私利私欲なく高次元の手足に徹する生き方と、それを許されている使命を前に謙虚であること。生かされている命なので無駄なく使い、価値観と感性は常に中庸でいたいと思っているんです。だから、私は人間の生命と可能性を前に“決してわかった風な口はきいてはならない”と、常日頃、自分に言い聞かせています」
いかなる場合であっても、真摯に魂と向き合い、寄り添っていく姿勢が【イタコ】には必要なのだろう。
〝「たましい」とは「記憶」である。記憶し続けることが、その人の「たましい」を存続させるのである。〟
と民俗学者の小松和彦は著書で唱えた。
言い伝えていくことにおいて、確かに残る存在はある。
人を奉る神社、墓など誰に言われるまでもなく訪れる場所はその象徴だろう。
記憶として私たちの思いが残っている間は、亡くなった人であろうが、少なくともその場所には根付き、象徴として存在し続けている。つまり、それはある意味において、肉体が失われても魂が残っていると言えるのではないだろうか。
文/来栖田まり
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